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四ケ所秀樹とは

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四ケ所秀樹とは

決算書を二万枚見た決算書オタクです。決算書を二万枚見た決算書オタクです。

22年間で、約2万枚の決算書を見てきた「決算書オタク」の四ケ所秀樹と申します。
決算書を理解し現状を打破したくて、何冊も本を買うんだけど、どうしても積読になってしまって・・と悩まれる、創業10年未満の社長さんや、2代目、3代目という後継者の皆さんが、安心して相談ができ、ビックリするほど簡単に決算書が読めて使えるように、いつも、ブログやYouTube、オンラインサロンにて情報発信を重ね、その伝え方の研究をし続けています。もし身近に、私で役に立てるような方がいらっしゃいましたら、お伝え下さると嬉しいです。

ナイスオンホールディングス株式会社代表 四ケ所秀樹

ナイスオンホールディングス株式会社代表 四ケ所秀樹

2万枚、22年間決算書を見続ける「決算書オタク」の四ケ所秀樹と申します。

決算書を理解し現状を打破したくて、何冊も本を買うんだけど、どうしても積読になってしまって…と悩まれる創業10年未満の社長さんや、2代目、3代目という後継者の皆さんが安心して相談ができ、ビックリするほど簡単に決算書が読めて使えるようにいつも、ブログやYouTube、オンラインサロンにて情報発信を重ね、その伝え方の研究をし続けています。もし身近に、私で役に立てるような方がいらっしゃいましたら、お伝え下さると嬉しいです。

ナイスオンホールディングス株式会社代表 四ケ所秀樹

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四ケ所秀樹「理念の経歴」

NICE PLACE、GOOD PLACE、GOOD COMPANY

  • 序文

    私の人生の大半は野球とともにあった。
    ポジションは捕手。
    チーム全体が実力を発揮できるかできないかを決める重要なポジションだ。
    捕手は敵味方ともに、一人ひとりの個性や性格をいかに掌握できるかが勝敗の鍵を握る。

    投手に至っては、より一層、捕手の実力が顕著に反映することになる。
    何より、バッテリーの信頼関係は勝つためには欠くことはできない条件と言える。
    捕手は全身全霊で投手の女房役を務めなければならない。

    試合中は事細かな指示を出せない監督に代わって、監督の意向を組みながらチームを勝利に導くのも捕手の役割。
    チームを経営するのが監督の役割だとすれば、捕手は、現場で指揮を取る参謀といったところだ。

  • 自立期

    私は、そんな捕手というポジションが昔から性分に合っていた。
    小学生の頃は、とにかく「負けたくなかった」。
    勝ちに固執するあまり、チームメイトの感情まで配慮する余裕はなかった。

    (自分の言う通りにしろ、そうすれば勝てるから!)

    そんな自信から、「こう動け!」「こっちに行け!」とチームメイトの心情には一切構わず、
    一方的に私が思う戦略の指示命令を押し付けていた。

  • 過渡期

    結果的に、私は小学校6年生の時、孤立することになった。

    中学校では、他人の目を意識するようになった。
    これを言ったら嫌われるんじゃないか。
    これをやったら陰口を叩かれるんじゃないか。

    高校に進学しても、嫌われないこと、に意識を向け過ぎて、甲子園を期待される粒揃いでありながら、公式戦で勝てない最弱を極めた。

    私には、どんな時も折れそうな心を支えてくれた言葉があった。
    小学校5年生の頃は、私の野球人生で最も輝いていた時期だが、
    全幅の信頼を寄せていたコーチは、「分かっとるぞ。大丈夫、大丈夫」と何度も声を掛けてくれた。

    6年生で孤立した時には、クラスの担任の先生が「分かっとるけんね。大丈夫」と
    グラウンドの外で私の折れそうな心を支えてくれた。

    中学生の頃には大好きな祖母が、高校ではチームのマネージャーが、
    「分かっとるよ、大丈夫」といつも私に声を掛けてくれた。

  • 共存期

    大学では野球部に所属したが、チームの雰囲気が肌に合わず2ケ月で退部した。

    同じ寮で仲良くなった仲間と草野球チームを結成することになった。
    多くが高校野球でそれなりに腕を鳴らしたメンバーが集まった。

    発起人の私がチームキャプテンを務めさせてもらうことになった。
    一人ひとりが、チームメイトの強みや弱みを把握し、
    お互いの強みで仲間の弱みをカバーし合う風土が自然と出来上がっていた。

    一人ひとりが「分かってる。大丈夫」と理解し合った中、自分たちの個性を存分に発揮するプレーがチームの
    スタイルだった。

    そんなチームの雰囲気は、私の捕手としてのスタイルにも変化を与えた。
    「こう動け!」「こっちに行け!」という指示命令ではなく、
    先ずは私自身が自分らしい強気のプレーを率先してやってみせるようになった。
    どんな時も、「大丈夫、大丈夫!思いっ切りいこう!」と仲間を鼓舞し、
    自分をずっと支え続けてくれた言葉でチームをリードした。

    私たちのチームは練習の度、試合の度に強くなった。
    偶然同じ大学、同じ寮に居合わせたメンバーで結成された草野球のチームでありながら、
    実業団や、甲子園経験者が揃う社会人チームでもない限り、私たちが負けることはなかった。

  • 依存期

    大学3年を終えると、一年間の休学を申請し語学留学のためフロリダに渡米した。

    出発の日、大学の仲間が空港まで見送りに来てくれた。
    等身大の自分で接しても理解してくれる仲間たちが、笑顔で手を振ってくれた。

    「大丈夫。お前が帰って来る場所はあるから安心して行って来い」

    そんな仲間たちの無言のエールが、何よりも有り難かった。

    アメリカの地で熊本県出身の左投手だった日本人と知り合い、あっと言う間に打ち解け合った。
    毎晩、彼とするキャッチボールが楽しみだった。

    「分かってる。大丈夫」

    彼が投げるボールを受け、私も彼に「俺も分かってるぞ。大丈夫」と、想いをボールに込めて投げ返した。
    私は、アメリカで自分らしさを見つけ、自分という存在に自信を取り戻すことができた。
    1年間の留学を終え帰国すると、また仲間たちが空港まで出迎えてくれた。

    「お帰り!」「ただいま!」

    一人ひとりと抱き合って1年ぶりの挨拶を交わしながら、居場所があることの有り難みを知った。

  • 自立期

    帰国後は、就職活動はせず、父親が経営する税理士事務所でコンサルティング業務を行なう為の
    資格取得に集中した。

    元々数字には強かったこともあり、経営コンサルタントとして初年度から順調に成果を出すことができた。
    だが、次第に重要なポジションと顧客を任されるようになると、また小学生時代の私が顔を覗かせ始めていた。

    (自分の言う通りにしろ、そうすれば勝てるから!)

  • 過渡期

    結果は、私に対するお客様の冷ややかな反応が物語っていた。
    会社の従業員との確執も広がっていった。

    ある研修で、そんな私の傲慢をへし折られた。

    「お前は、一体何様のつもりだ!」

    研修講師が言い放ったその言葉が、傲慢になっていた胸に突き刺さった。

    「お前が仕事を通して本当にやりたいことは何だ?」

    私は、自分の人生を通して学んで来たことを振り返った。

    「居場所を創る」

    どんな時も、「分かってる。大丈夫」と信じてくれていた
    祖母や恩師、仲間一人ひとりの存在、一つひとつの環境が、
    私がこれから歩むべき未来への道標となって導いてくれていた。

  • 共存期

    程なくして、私は経営の師となる2人のメンターと出逢うことになった。

    一人は、MG(マネジメントゲーム)の開発者である西研究所の西順一郎先生。
    一人は、小説『The Goal』で有名なTOC(制約条件の理論)をゲーム化した
    ソフトパワー研究所の清水信博社長だ。

    MGからは、利益を最大化する数字の見方を学び、
    TOCからは、利益を最速化する経営の見方を学んだ。

    2011年11月11日、
    「NICE PLACE、GOOD PLACE、GOOD COMPANY」の創造のため、
    一社でも多くの企業、一人でも多くの人が、
    自分たちの居場所に「辿り着ける」ようにという願いを込めて、
    株式会社NICEONを創業した。

    私の名字である「四ケ所(しかしょ)」が読み方を変えると、九州弁で「よかところ」と読めることを西先生がアドバイスしてくださり、みんなにとっての「良い居場所」を創造することが私の使命であると、より一層覚悟が決まった。
    また、私にとっての独立は「生涯、正捕手」という役割を信念に据える決断でもあった。

    これまで延べ800社を超える企業様に、MG、TOC研修を導入していただいた。

  • 理念

    その結果、年間利益が40万円だった製造業が今では3900万円の利益を出せるようになった事例をはじめ、
    導入前後で2〜25倍の増益を果たす企業様が続出している。

    経営者が従業員に、従業員が経営者に、企業がお客様に、「大丈夫、大丈夫」と言ってあげられる信頼、
    尊重をベースに、一人ひとりが強みを伸ばし、互いの弱みを補い合い、真に強いチーム、全員にとって
    良い居場所を創ること。それが、私が私自身の人生から導き出した正捕手としての役割だ。

    多くの中小企業の経営者は今、たった一人で、会社を、従業員の生活を、お客様へのサービスを支えようと
    孤軍奮闘している。でも、本当は一人ひとりの経営者に、理想としたチーム、貢献したい社会、創造したい
    理念があったはずだ。

    NICE PLACE、GOOD PLACE、GOOD COMPANY

    私たちナイスオンホールディングス株式会社は、関わるすべての企業と、また、その企業に関わるすべての人たちと共に、
    辿り着くべき理想の居場所「よかところ」を創造するバッテリーであり続けたい。

ナイスオンホールディングス株式会社
四 ケ 所 秀樹

History of My Philosophy

NICE PLACE、GOOD PLACE、GOOD COMPANY

  • Forward

    Most of my life has been with baseball. My position was catcher. The catcher plays an important role to determine whether the whole team can show their ability or not. In order to win, it is crucial for the catcher to understand each player’s personality and characteristics. Especially, the capability of the catcher has a significant impact on pitchers. It can therefore be said that a trusting relationship between pitcher and catcher is essential to winning the game. It is necessary for a catcher to become a partner of a pitcher with all his heart and soul. Another role of the catcher is to lead the team while understanding the intentions of the manager who cannot give detailed instructions during the game. While the manger’s role is to manage the team, the catcher is a strategist who gives directions on site.

  • Independence

    The characteristics of a catcher matched those of my own personality from a young age. When I was in elementary school, I did not “want to lose” at any cost. In fact, I felt the desire to win so intensely that I didn’t care about the feelings of my teammates. By having confidence to say things like “Do as I say and we will win!”, I pushed my directions and orders, such as “Move like this!” and “Go over there!”, onto my teammates without thinking about their emotions. Consequently, I became isolated when I was a sixth grader.

  • transition

    In junior high school, I began to be concerned about how I was viewed by others. I thought, “I may be disliked if I say this,” or “if I do this, someone may talk about me behind my back.” After I went to high school, seeking approval from other students became drastically affected the way I performed on the field. As a result, even though we had excellent baseball players who were expected to go to the high school baseball championship at Koshien, we could not win official games.

    During my baseball career, I was often supported by words which helped me overcome the hardships I faced. When I was a fifth grader, the most brilliant time in my baseball life, the coach I whole-heartedly trusted repeatedly told me “I understand you. You’re alright. You’re alright.” When I became isolated in sixth grade, my teacher tried to heal my almost broken heart, saying “I know. You are alright.” In junior high school, my beloved grandmother always said to me “I understand you. You’re alright,” as did the team assistant in high school.

  • Coexistence

    I also belonged to the baseball club in university but left after 2 months because I did not fit with the atmosphere of the team. With some friends who lived in the same dormitory, I formed a sandlot baseball team. Many of our team members were good players in high school. As one of the original creators of the team, I was appointed captain. A team climate was naturally formed where each member understood others’ weakness and covered it by sharing his strength. We freely showed unique abilities in a state where everyone understood “I know. You’re alright.” That was our baseball style. That team atmosphere changed my style as a catcher.

    Instead of ordering “Move like this!” and “Go over there!”, I started to demonstrate bold plays on my own initiative. At any time, I encouraged the team by saying “You’re alright! You’re alright! Give it your best!” and led the team with the words that had always supported me. Our team became stronger and stronger as we practiced and played in games. Even though our team was made up of members just from the same university and the same dormitory, we did not lose unless the opponent was a corporate-owned baseball team, or a team with several players who had played at the high school baseball championships at Koshien.

  • Dependence

    After finishing my third year at university, I applied for a one-year leave from school and went to Florida to study English. The day of my departure to the US, my teammates came to the airport to see me off. My friends who understood me as who I was waved to me with smile: “You’ll be alright. There is a place for you to come back. Take it easy.” That unspoken cheer of my teammates made me more grateful than anything.

    In US, I met a Japanese person from Kumamoto Prefecture who was a left-handed pitcher and we became friends very quickly. I enjoyed playing catch every night with him. “I understand you. You’re alright.” I caught his ball and threw it back to him with my thinking “I too understand you. You’re alright.”

    I discovered who I was and regained confidence in myself. After finishing the one-year stay in US, my teammates came the airport to welcome me back. “Welcome back!” “I’m home!” I hugged each one of them and realized how grateful I was to have a place where I could be myself.

  • Independence

    After I retuned to Japan, I did not seek a job, but focused on obtaining qualifications to do consulting work at my father’s tax accountant office. Since I had an aptitude for figures, I successfully produced results from the first year as a management consultant. However, as I was assigned to more important positions and customers, I found myself returning to the way I was when I was an elementary school student: “Do as I say and you will win!” The customers’ cold responses to me soon became clear, and a feud between other employees and me slowly developed.

  • transition

    However one day at a seminar, my arrogance was broken. “Who do you think you are!” The severe words from the trainer to me stuck my arrogant heart. “What do you truly want to do through your job?” I looked back what I had learned through my life, and answered:

    “Create a place where people can be themselves.”

    Taking those words to heart, I thought about what I had learned from my grandmother, my mentors, and each of my teammates. Thanks to them, I knew I wanted to use “I understand you. You’re alright,” as a guidepost for my future to point me the way I need to go.

  • Coexistence

    Not long after this realization, I met two teachers of management who became my mentors. One of them was Mr. Junichiro Nishi of Nishi Kenkyujo, who developed MG (Management Game). The other was Mr. Nobuhiro Shimizu, President of Softpower Co., Ltd, who developed a game based on TOC (Theory of Constraints) made famous in the book “The Goal”. I learned the way to look at figures for maximizing profits from MG and management for making profits in a fastest manner from TOC.

    On November 11, 2011, in order to create “NICE PLACE, GOOD PLACE, GOOD COMPANY”, I founded NICEON Co., Ltd. with a wish for as many companies and people as possible to “arrive” at their ideal place. Since Mr. Nishi advised me that the Chinese characters of my family name “Shikasho” can also pronounce as “Yokatokoro” in Kyushu dialect, which means “good place”, I determined to accept as my mission to create a “good place” for everyone.

    Currnently, more than 800 companies have used MG or TOC trainings to improve their profits.

  • Philosophy

    As a result, the companies continuously increased their profits by 2 to 25 times, which includes a manufacturer whose annual profit was 400,000 yen previously but can now have profits of 39 million yen. It is my role through what I learned from my life as a regular catcher to create a truly strong team, or a good place for everyone. I believe this is best achieved by creating an environment of trust and respect through encouragements like “You’re alright. You’re alright.” from managers to employees, from employees to managers and from companies to customers, where each one can grow their strengths and support weakness with one another. Many of the managers of small and medium-sized companies struggle to support their companies, lives of employees and service for customers by themselves. However, each of them should have had an ideal team, a society they want to contribute to and philosophy they want to create.

    NICE PLACE、GOOD PLACE、GOOD COMPANY

    We, NICEON, want to continue to serve as a battery to create an ideal place, “Yokatokoro”, for the companies related to us, and all the people related to those companies.

NICEON Co., Ltd.
Hideki Shikasho

NICEON行動規範
一燈照隅 十二の有

  • 人を育てる意志ある者に、一を貫く信念有り。

  • 人に情熱注げる者に、やり切る本気の覚悟有り。

  • 人の成長を信じる者に、人を導く資格有り。

  • 人の多様を覚る者に、濁らず澄んだ心有り。

  • 人を診る眼のある者に、秘する慈愛の誠有り。

  • 人を用いる才ある者に、人心集まる信頼有り。

  • 人の在るまま観る者に、人を支える敬愛有り。

  • 人を究める道行く者に、期待され続ける魅力有り。

  • 人に克己心ある者に、真直ぐ生きる強さ有り。

  • 人の変化に関心ある者に、時代の変化を視る眼有り。

  • 十一

    人との和合を為す者に、時代を築く器有り。

  • 十二

    人に情けのある者に、隅をも照らす天分有り。

ナイスオンホールディングス株式会社代表 四ケ所秀樹ナイスオンホールディングス株式会社代表 四ケ所秀樹

経歴

1998年3月
関西学院大学法学部政治学科 卒業
1998年4月
父親が経営する「四ケ所税理士事務所」「合資会社こちら総務部」に入社
2011年11月
独立するために退職、「株式会社NICEON」設立、代表取締役に就任

保有資格

  • 西研公認MGインストラクター
  • SP研公認最上級TOCインストラクター
    (日本第1号資格取得者)
  • STR認定コミュニケーションマスター
    (世界第1号資格取得者)
  • TOC‐ICO国際認定 思考プロセスジョナ登録
  • 交流個性解析士

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